京都人と前田Vol.1 建仁寺塔頭 正伝永源院副住職 真神 啓仁氏


真神さんインタビュートップ

京都人に愛されて40年、前田珈琲社長の前田剛が著名な京都人と、喫茶店や今後の京都について語り合う対談企画「京都人と前田」。記念すべき第一弾は、建仁寺塔頭 正伝永源院 副住職の真神 啓仁氏との対談です。


プロフィール
真神 啓仁(まがみ けいにん)



建仁寺塔頭 正伝永源院 副住職、茶道 有楽流:1976年京都府生まれ。

東山にある正伝永源院の副住職を務めながら、2004年から2016年3月まで執事として高台寺に勤務する。

座禅や法要、説法など僧侶としての仕事をこなす傍ら、海外からの観光客誘致や拝観事業、茶道 有楽流師範


「2人の出会い」


前田 7〜8年前に高台寺店を作って、そのときに高台寺の執事をしてたんですよね。

真神 そうですね。最初はお互いチャラいやつやなという印象でしたね笑

前田 笑

前田 高台寺店に、毎朝、2〜3人でコーヒーを飲みに来てくれていて、そこで挨拶をする感じでしたよね。

真神 そうでしたね、だいたい出勤前に行ってましたね。

前田 いつも、龍之助を飲んでくれてたんでしたっけ?

真神 龍之助ですね。酸味のある冨久も好きでしたよ。

前田 そのあと、高台寺門前の若手が中心になって、観光マップ作りを始めて、そこから公私ともに仲良くなった感じでしたね。


「お寺と喫茶の関係」


真神 お坊さんは結構コーヒー好きの人が多くて、お寺自体も、お客様が来たらお茶でもてなすという喫茶の習慣があります。

よく言うのは、お寺は昔からサロンなので、文化人や、もちろん民衆も集まる場所になっており、昔は、お寺に来られたら、お抹茶を出していたのが、今はコーヒーを出さはるところもありますし。

そういう意味で、コーヒー・喫茶とお寺というのは近いものなのかもしれないですね。
実際、京都も喫茶店って多いですよね?

前田 そうですね。そういうお寺との関係もあり、京都は文化人が多い街でもありますし、そういった方々は、西洋のハイカラなものを好まはったということもあり喫茶店が広まったんでしょうね。

真神 コーヒーっていつころから日本で飲まれているんですか?

前田 藩士がコーヒーを飲んでいたという記述があるくらいなので、出島から入って江戸時代には一部の人は飲んでいたみたいですね。昔は病気の予防薬という位置付けだったみたいですけど。

真神 そうなんですね。コーヒーも眠気を覚ますものですけど、お寺の修行でも、修行中は睡眠時間が短いですから、眠気を覚ます役割として、抹茶を飲んでいますね。その辺りでも関係性は深いですよね。


茶室


「茶道文化と喫茶文化」


前田 お抹茶といえば、真神さんは茶道の有楽流の師範もされていて、茶道文化にも精通されていますよね。

真神 はい。(※正伝永源院の茶室にて撮影)

前田 茶道文化と喫茶文化も似ているところがあって、茶道はできるだけ無駄を排除した空間を作ると思うんですけど、昔の京都の喫茶店、うちもイノダさんも、新聞も置いていなかったし、音楽も流さないようにしていたんですよ。

真神 そうなんですか。

前田 机の上にメニューも置かずに、できるだけ視界にも無駄ななものが入らないようにして、そこにはキビキビと働く従業員と美味しいコーヒーがあればいいというのが、イノダさんの創業者の考えた喫茶道でした。今は時代が変わって、うちもイノダさんも新聞を置くようになったけど、根底にはその考えたを採用しているんです。

真神 それは禅、茶道の考え方に近いですよね。


「これからの喫茶店」


前田 今は、デジタルなものが発展して、会わなくてもコミュニケーションが取れる時代になったけれど、顔を合わせて、コミュニケーションを取れる場、人と人を繋ぐ場が喫茶店だと思います。

真神 昔はその場がお寺であったところが喫茶店になり、お抹茶を出していたところが、コーヒーになりということですよね。

前田 そうですね。茶道でいうと、昔は茶室に入るときは刀を外して、お茶を通してコミュニケーションを取るという場だったと思いますけど。今は、刀の代わりにスマホを置いて、コミュニケーションを取る場が喫茶店なんかな笑



<対談を行った場所>

建仁寺塔頭 正伝永源院

元は正伝院と永源庵の二ヶ寺であり、いずれも臨済宗大本山建仁寺の塔頭だった。
明治新政府の断行した廃仏毀釈の影響で、建仁寺領も四分の一程度に縮小を余儀なくされました。
当時、永源庵は運悪く無住であった為即刻廃寺となったそうです。ところが永源庵は本山の真北にあった為、その堂宇の取り壊しは免れその地に本山の北東に隔ててあった正伝院が移ってきたのです。そうして寺名も「正伝院」と変えられました。

「永源庵」は細川家の始祖細川頼有および以後、八代の菩提寺であり、数多くの菩提寺の中最も大切な寺でありましたが、廃仏毀釈運動により一時霊牌等を一切引き取り、それまでの関係を整理しましたが「永源」の名が消えることを憂いだ時の細川侯爵は「永源」の名を残すことを希望され「正伝永源院」となりました。



正伝永源院HPへはこちらから

正伝永源院instagramへはこちら

庭園
建物